prologue

 貴女は、銃声と共に倒れた。

私の門出を祝うクラッカーのように、紅いしぶきをあげながら。


 夜の生き物とは限らない。静寂の中行われるとは限らない。手段は何でも構わない。ただし、苦しめてはならない。いかなる時も。
 朝の公園のベンチに座っていた。いつのまにか、辺りはほんのりと明るくなってきていた。冷たく光る銀色の文字盤を確認して、私は左手に持っていたものを腰のホルスターに戻した。ホルスターは真っ白なシャツに隠れて見えないようになっている。死に損ないの己を嘲笑うために、私は唇の両端に少しだけ力を入れた。

 「柏木さん、お早うございます」
 同じアパートに住む老女が曲がった腰を更に曲げて挨拶してきた。
 「お早うございます。あ、持ちましょうか」
 老女が抱えていた半透明のゴミ袋をそっと受け取ると、私はゴミ捨て場に向かった。独居老人である彼女の他にこのアパートに住んでいるのは、若夫婦とその子供、熟年夫婦が二組、一人暮らしの若い会社員、女子大生が三人。住み始めて約半年、そろそろ引き払おうかと考えている。赤錆のついた階段を上っていると、元気な声がして二階の廊下を見上げた。
 「つねもとーっ、朝帰りかー?」
 「これ、あんたは何てこと言うのっ」
 やんちゃ坊主の頭を母親が叩いている。彼女の腕には生後六か月の赤ん坊。大きな目を丸くしてこちらを見ている。私は階段を上りきると、母親に挨拶してから私の腹部辺りまでの少年に話しかけた。
 「ラジオ体操か?」
 「当ったり前だろ。ほら、コレ見ろよ。まだ一回も休んでないんだぞ」
 首から吊るしている向日葵の形をしたカードを見せて言う。誇らしげな様子に思わず笑みがこぼれた。

 薄暗い部屋に入ると重いため息を吐いた。羽織っていたシャツを脱いで確認する。見つけた。今日は一滴、肩口についていた。腰のホルスターを外すと畳の上に投げ出した。洗面台にシャツを持っていき、写った顔を見ないようにして洗う。私は、私の顔は、あまりにもあの人に似過ぎている。
 ところどころ漆喰がはげ落ちた壁に持たれて片足を投げ出した。残りの足は両手で抱え込んで上半身に引き寄せる。これが私の眠り方だった。
 昼過ぎ。私は目覚めると傍らに置いてあった携帯電話を手に取った。素早く番号を押して、耳に当てる。ワンコールで相手が出た。無言の相手に向かって、私は淡々と言葉を発した。
 「午前一時、二九五番完遂。三○七、二○五番は現在情報待ち。以上スワン」
 それだけ言うと電話を切った。

 夕刻、私の部屋のチャイムがけたたましく鳴った。
 「つーねーもーとー」
 大声に苦笑すると、私はドアを開けた。今朝方の少年、大原尽(おおはら・じん)が立っていた。手にはグローブとボール。
 「公園行こうぜ公園」
 わかったと頷くと、玄関口に置いてあったグローブを手に取った。

 いつも通り、地下駐車場に車を停める。私の車以外に車はない。運転手がドアを開け、四人のボディガードが周りを固める。煌々としたエントランスに向かおうとした時、どこからともなく、白いシャツに白いパンツの長身痩躯の青年が現れた。ボディガードたちに緊張が走る。ここは一般人の立ち入りは不可能なのだ。
 「何者だ」
 ボディガードの問いに、青年は立ち止まって答えた。
 「庄原(じょうはら)さんに聞いて頂きたいことが・・・」
 「何者だ」
 「荒木建設の件で」
 その言葉に私は青年をじっくりと観察した。一八○センチメートル程の身長、華奢な体格。色素の薄い髪と眼は、柔和な印象を与えている。秘書か・・・?私は青年を追い払おうとしたボディガードを制すと、大股で彼に歩み寄った。すかさず私たち二人の周りをボディガードたちが取り囲む。
 「荒木建設が何の用だ」
 「実は・・・」
 青年が腰の辺りに手をやったと思った途端、額に硬いものが押し付けられた。

 初老の男の額を撃ち抜いたあと、続けて彼の背後に立っていた二人を撃った。仰向けに倒れようとする初老の男を振り向きざまに盾にして、背後の三人の銃弾を避け、更に一人の額を撃ち抜いた。右脚で残る二人の銃を叩き落すと、盾にしていた死体を放って右手を一人の鳩尾に入れ、残る一人の拳をひょいとかわした。素早く彼の背後に回って首に手刀を一発。
 どさり、と倒れ込む音がして、銃声が二発響いたあと、地下駐車場は静かになった。

 「この人・・・かな?」
 死体の懐を探ると、車のキーを取り出した。トランクに探す物はある筈だった。
 「あー・・・。これで何着めだ?」
 血まみれの服を見下ろして、一人ごちる。意外と無地の白い服って売られてないんだよな。差し込んだキーを回して、トランクの中からシルバーのアタッシュケースを取り出すと、暗証番号を入力してロックを解除した。中身を確認するとトランクの蓋を閉めた。
 「さて、どの人の服にしよーかな」

 アパートへ続く上り坂に差し掛かった時、背後から声を掛けられて振り向いた。
 「ああ、島井さん」
 階下に住む会社員の島井亮(しまい・りょう)だった。出来ればこんな格好では会いたくなかったのだが。案の定、不思議そうに問い掛けられた。
 「あれ、今日は随分フォーマルですね」
 スーツ姿の私を眺めている、その目線が右手のアタッシュケースに移った。
 「なんか・・・高利貸しみたいですね」
 「何ですかその言い草は」
 隣を歩く島井の言葉に苦笑した。私と島井は年齢が近い独り者同士、よく言葉を交わしていた。頭の中で彼の背中に赤いバツ印をつける。
 「それじゃ」
 階段の下で別れを告げ、一段目に足を掛けた時、呼び止められた。
 「あの、今度飲みに行きません?」
 唐突な申し出に、一寸返答が遅れた
 「・・・あ、もちろん」
 笑顔になった島井が、それじゃあ、と会釈して自室へと去っていく。その後ろ姿を眺めながら、スッと目を細めた。

 「午後六時、三○七番完遂。二○五番、明後日遂行予定。空き二つです、ありますか」
 『スワン、オ前ハヨクヤッテイル。会長ガオ会イニナルソウダ』
 機械で電子音に吹き替えられた声が言った。目を見開いて、既に通話の切れた携帯電話をまじまじと見詰める。二年間で初めての出来事だった。

 「英泉(つねもと)、英泉って名前はね、美しい泉っていう意味なのよ。皆をやさしく潤してくれるような子になりますようにって、お母さんとお父さんがつけたの」
 あどけない私の瞳にも、姉の笑顔は美しく、そして眩しく映った。色素の薄いふわふわとした巻き毛がそよ風に揺れていた。白く細い指でシロツメクサの王冠を作ると、そっと私の頭に乗せてくれた。私がはしゃいで声を上げると、彼女は白いワンピースを着た膝に私を乗せて、小さく唄を口ずさみ始めた。

 わらべはみたりのなかのばら
 きよらにさけるそのいろめでつ
 あかずながむ
 くれないにおうのなかのばら

 白いランニングシャツにパンツ、キャップという出で立ちで駅前の繁華街に向かった。肩に担いでいる半透明のゴミ袋がすれ違う人々に当たらぬよう注意しながら歩いた。何気無い様子を装いながら全神経を使って周囲を確認する。ビルとビルの間の袋小路に入ると、素早く右手奥にあるゴミ捨て場に袋を投げ込んだ。任務完遂。元の通りに戻って人混みに紛れた。

 「午後九時、二○五番完遂。以上スワン」
 「明日、正午チョウド、中央公園ノ噴水デ三時ノ方向ヘ向イテ立ッテイロ。迎エヲヤル」
 最近かったるい任務ばかりで飽き飽きしていたが、少しは面白くなりそうだ。

小説。 進む。